■ 沿革
相庭館の詳細は不明であるが、館主として相庭小太郎の名が伝わっている。
矢島藩郡奉行が宝暦年間(1571〜1763)に書いた『御領分覚書』によると、「相庭館は矢島五郎満安の家臣・相庭何某の住館」であると伝わる。『由利十二頭記』・『奥羽永慶軍記』などに相庭氏の名が見え、その居館跡であると考えられる。
■ 構成
矢島盆地の南東部、比高約1〜2mの低台地に位置する。
東西に長い楕円形であり、西部に田沢川、南部にその支流が流れ、東北部は低湿地帯であり、往時は水堀であったと思われる。
■ 現況
現在は住宅地・水田となり、遺構はほとんど残っていない。
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■ 館跡
古峰神社が祀られ、イチョウの巨木が残る。 |
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■ 北側
水路が流れ、低湿地帯であったと考えられる。 |
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■ 土田家住宅
館跡西端に位置する。
土田氏は根井小弥太行親の流れを汲むと伝えられ、現在の相庭館の和集落に居住したのは江戸時代の初頭の頃と考えられる。
家伝によると延宝6年(1678)没の初代清左衛門が建てたものといわれており、国指定重要文化財となっている。 |
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