■ 沿革
尼子館は浦城の西方に隣接しており、位置と規模から鑑みて浦城の出城としての役割が考えられる。
館主としては尼子四郎の名が伝わる。
一説には浦城が戦に巻き込まれた際に、非戦闘員である婦女子が逃げ込んだ事から尼子館と呼ばれたとも言われる。麓には浦城落城後、城主である三浦氏関連の女性が尼となって庵を結んで供養したと伝わる。
■ 構成
浦城の西方に隣接し、標高約90m程の単郭の山城である。
頂部を主郭とし、主郭から七段の段築が設けられている。
■ 現況
現在、麓には供養塔が祀られ、頂部までの登道はNPO法人「浦城の歴史を伝える会」よって整備されている。
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■ 主郭よりの眺望
主郭の西側に一段低く平場が設けられている。
八郎潟および旧羽州街道が一望できる。 |
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■ 五輪塔
かつて付近に散在していたものを集めて麓に祀っている。
梵字が対をなしていないため、これより多くの碑があったと推定される。同時に多くの人骨も発見されていることから、浦城で滅びた三浦氏一族を埋葬していた可能性もある。 |
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