■ 沿革
馬場目城は浦城の支城として機能しており、浦城主三浦氏の一族である馬場目氏が城主であった。
築城者は安東五郎季宗・三浦玄蕃広盛・小二郎勝宗らの名が伝わるが詳細は不明である。
天正17年(1589)の湊合戦において、城主である馬場目玄蕃正勝は主家である浦城主の三浦氏と共に湊安東氏に加担した。そのため馬場目城は檜山安東氏に攻められ、浦城と共に落城した。
■ 構成
主郭を中心に、東側に深さ7m幅3〜4mの空堀を南北に通し、空堀を隔てて一段低く二ノ郭を設けていた。
主郭の西側にも空堀・古井戸が存在し、一段低く馬場跡が位置する。西端には木戸口跡があって帝釈寺方面の通路となっていた。
東方の広徳寺は馬場目氏の菩提寺であり、季宗が開基であるという。
■ 現況
現在、広徳寺の西方に郭・空堀・土塁などが現存している。
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■ 広徳寺
城域東側に位置する。馬場目氏の菩提寺であり、庭園は往時よりのものであるという。 |
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■ 虎口跡
上方より望んだところ。
緩やかな枡形が設けられている。 |
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■ 主郭跡より二ノ郭跡を望む
主郭の東側、一段低く二ノ郭が位置している。 |
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■ 二ノ郭堀切
画像左側は主郭。二ノ郭とは堀切で区切られている。 |
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