■ 沿革
餌釣館の由来などは一切不明である。
『長崎氏旧記』によると、天正10年(1582)に浅利勝頼を殺害した池内権助が勝頼の二男である頼平によって比内市里(餌釣)にて発見され、南部門野で討取られたとされる。
餌釣館の西方の地に池内集落があるため、この池内権助が餌釣館主であった可能性が考えられる。
■ 構成
餌釣館は単郭式の館であり、北側中央部が30m程度内側にえぐられた不整形の郭である。そのため北西部が40m程度伸びており、出丸の形状を成している。
主郭は東西約100×南北約125mの面積であり、周囲を空堀によって囲まれており、東側が土橋によって開けている。南北の空堀は浸食谷を利用した大規模な物であり、東側は幅7〜8m程の人工的な物である。
■ 現況
現在、主郭跡には日吉神社が祀られている。
郭・空堀などの遺構は比較的良好に残っている。
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■ 東側空堀
幅7〜8mの規模である。
現在は笹藪に覆われている。 |
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■ 主郭
一部がかつて耕作地として利用されていた跡が残り、大部分は雑木林である。 |
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■ 西側切岸
自然の台地を利用した切岸となっている。 |
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■ 主郭北西側
北側より入組む浸食谷によって出丸の様を呈している。 |
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■ 北側浸食谷
上記画像を北側の外周より望む。
完全に大規模な空堀となっている。 |
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■ 南側空堀
北側同様、自然の浸食谷を利用した大規模な空堀である。 |
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