■ 沿革
由利十二頭の一人に数えられる羽川小太郎義稙の居城である。
新田義貞の系譜にみられる羽川修理太夫の子孫が応永年間(1394〜1428)の頃、越後から由利郡に流れついたといわれる。
天正年間(1573〜93)の頃の館主は羽川小太郎義稙といわれ、『奥羽永慶軍記』によると「夜盗・夜討を常とする」という紹介をされている。
−赤尾津氏の裏切り−
義稙は天正16年(1588)、由利十二頭の赤尾津・岩屋・打越氏らと檜山安東実季に加勢する事となった。義稙は手筈通り大曲城を攻め、当主不在の前田氏を滅ぼした。しかしその間、仲間である赤尾津氏の謀略にかかって羽川新館は赤尾津九郎に奪われた。
その後、赤尾津九郎は名を羽川主膳正九郎と改めて仁賀保城の支城にした。
義稙は残った郎党と共に落ち延びて仙北郡で帰農したといわれる。
韮山館といわれる別称は義稙が土塁にニラを植え、敵が滑りやすいようにしたためと言われる。
■ 構成
羽川氏の菩提寺である珠林寺の南方の丘陵上にあり、北郭・中央郭・南郭に分けられる。
また北側にみられる竪堀は素晴らしい。
■ 現況
現在は公園化されている。
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■ 羽川新館遠望
珠林寺奥の高台が羽川新館である。中央部に標柱が見える。 |
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■ 北郭跡
入口を上ると一番最初にある平台。二段の段差があり、東屋が建てられている。
東屋にはノートが設置され、訪れた方々が一筆寄せている。私も一言書いてきました・・・ |
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■ 北郭腰郭の竪堀
北郭から下を覗くとこの様な見事な竪堀があった。 |
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■ 中央郭
北郭を左側に見ながらさらに上って行くと南郭にたどり着くが、
途中かなり広い郭が左手にある。これは南郭側から見たところ。 |
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■ 南郭入口
上りきった所にあるのが南郭。入ってすぐ右手に(下の画像参照)土塁の様な物がある。
もしくは物見台だったのだろうか。 |
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■ 南郭跡
最も高い場所にあり、広さもかなりある。これは奥から入口方面を見たところ。
左側に土塁が見える。
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■ 搦手か
南郭奥に通路があるが、雑草が生い茂って先に進めなかった。
ひょっとしたら搦手なのだろうか。 |
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■ 南郭からの見晴らし
南郭は非常に見晴らしが良い。左に見えるのが珠林寺。 |
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