■ 沿革
十六沢城の創建時期は明らかではないが、天喜5年(1057)、前九年合戦の頃に白岩城主・左近将監有信の家臣である宮藤六兵衛尉藤原正重なる者が城主であったとされる。
建暦2年(1212)、白岩城主である善右衛門の攻撃を受け落城し、その後は白岩城の支城として機能していたとされる。しかし白岩城が正平9年(1354)に戸沢氏の攻撃によって落城すると、十六沢城は白岩城と共に戸沢氏の支配下に置かれ、天正年間(1573〜93)に廃城となった。
■ 構成
斎藤川南岸の標高約220m、比高約60mの丘陵上に位置する。
主郭は最頂部で標高220mの場所に位置し、面積は約600uであり、その西側には長さ約120m、幅約5〜6mの帯郭が位置する。北側には傾斜を利用した平場を設け、北辺には1本の空堀が位置する。
主郭の南側には尾根を利用した段築が4段連なり、その間に2本の空堀が分断している。
■ 現況
現在、城跡は秋田県民憩いの森として整備されている。
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■ 入口
現在、公園の入口となっているが往時のものかどうかは不明。 |
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■ 帯郭
尾根を利用したと思われ、主郭の北西側に位置している。 |
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■ 帯郭
約120mの長さを生かし、主郭を防御している。 |
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■ 空堀跡
画像右手が帯郭跡。
空堀の外側には土塁状の土盛を設け、所々で分断されており竪堀状となっている。 |
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■ 主郭入口
緩やかな傾斜に設けられた階段が続く。 |
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