■ 沿革
門屋城はかつて安倍頼時の六男である北浦六郎重任の居城であったとされる。
重任は康平5年(1062)に厨川合戦において戦死した。
承久2年(1220)、戸沢氏2代平九郎兼盛が北浦の地へ移ったが、安貞2年(1228)に門屋城を修築して居城とした。以降は13代家盛が応永年間(1394〜1427)頃に小松山城(後の角館城)へ移るまで戸沢氏の居城として機能した。
その後、戦国時代には家盛の曾孫である宮内大輔頼盛が居城とし、天正15年(1587)の阿気野合戦、同年の唐松野合戦、翌・天正16年(1588)の峰ノ山合戦などに参加した。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の命により、戸沢三十五城の一つとして破却された。
■ 構成
門屋城は東側を流れる檜木内川と南側を流れる高野川が合流する地点に位置し、北西側には深い堀が存在する。
規模は約50,000uで、本丸・西館・中館・北ノ丸などの郭によって構成される。
本丸は丘陵南東端に位置し、約9,000uの広さである。本丸の西側には幅2〜3m程の空堀を隔てて西館が位置する。これらの北側には中館・北ノ丸などの郭が存在している。
■ 現況
現在本丸跡には三嶽神社が祀られている。
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■ 東側切岸
標柱・石碑・説明板などが設置され、入口が存在する。 |
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■ 入口
城の南東端に位置する。コンクリートで固められた階段であるが、当時の入口であるかどうかは不明。 |
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■ 本丸跡
郭の中では最も広い。画像手前には祠が… |
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■ 本丸東側切岸
三嶽神社向かいに急峻で切込んだ切岸が存在する。 |
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■ 本丸西側土塁跡
画像ではほとんど分からないが本丸西端、空堀際に土塁が存在する。 |
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■ 西館跡
本丸西側に幅2〜3mの空堀を隔てて並立している。 |
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■ 南端遠望
画像中央部の茶色の部分は西郭の一部であろうか。
道路はかつて馬乗小路と呼ばれていた。 |
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■ 馬乗小路跡
門屋城南側に位置し、現在は集落となっている。 |
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