唐松城 |
訪問年月日 |
03年9月14日 / 07年9月1日 /09年4月17日 |
別称 |
− |
所在地 |
秋田県大仙市協和境字唐松岳 |
創築者 |
境講師宮照 |
主要城主 |
安東氏か |
築城年 |
− |
廃城年 |
− |
様式 |
山城 |
構成 |
主郭 |
遺構 |
郭・竪堀 |
設置・復原物 |
説明板・標柱・主殿・水堀・能楽殿 |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
唐松城の築城時期や沿革は明らかではないが、伝説によると平安末期に陸奥国の郡司である安部貞任の弟・境講師宮照がこの地に館を築いたのが始まりとされる。
康平6年(1063)、前九年合戦において源頼義・義家父子らの攻撃により落城したという。
戦国時代になるとこの地は安東氏、戸沢氏、小野寺氏の各勢力による緩衝地帯となったが、淀川より秋田側は安東氏の勢力下であり、唐松城も安東氏の最前線としての役割があったと推察される。
天正15年(1587)、この地で唐松野合戦が起き、横手城主・小野寺義道と脇本城主・安東愛季が激突しており、安東勢が敗退している。
■ 構成
唐松岳の山頂に位置する。
主郭は9m×25mの面積であり、前面(東側)に10条、裏手(西側)に9条の竪堀を設けていた。
■ 現況
現在、唐松城跡は「まほろば唐松中世の館 唐松城」として整備され、能楽殿を始め各建造物が模擬として建てられている。遺構に関しては竪堀が良好に残っている。
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■ グラウンド
「まほろば唐松」造成により、東側の平地の遺構は全く残っていない。 |
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■ 主郭へ至る道
数々のレリーフが設けられている。 |
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