■ 沿革
慶長13年(1607)、毛馬内館において南部藩の藩境警備にあたっていた毛馬内権之助政次は、南部藩主利直の命によって毛馬内館より南方へ約1kmの地へ柏崎城を築いて居館を移した。
しかし政次が寛永19年(1642)に死去すると、嫡子である範氏がわずか4歳の幼少であったため、藩境警備の任は重すぎるとして翌20年(1643)に大湯へ移された。その替わりに政次の弟である毛馬内三左衛門直次が大湯より入った。
明暦3年(1657)、直次が花輪城代に抜擢され、代わりに桜庭兵助由之(光英)が閉伊郡より入部した。桜庭氏はその後、柏崎城を要害屋敷と称して御同心十五人を支配して、明治に至るまで秋田藩・津軽藩境を守った。
■ 構成
柏崎城は北東へ伸びる丘陵先端に位置し、西・南は急斜面で形成されている。
本丸は南西端に位置し、東西約200m×南北約120mの三角形の形をしており、お田屋と称される桜庭氏の陣屋が存在した。また、二ノ丸側の空堀側へ高さ約2mの土塁が残っている。
二ノ丸は本丸の北東へ空堀を隔てて位置しており、東西約250m×南北250mの面積である。二ノ丸には毛馬内通代官所・御蔵・御蔵奉行役宅・武具蔵・家中屋敷が存在した。
三ノ丸はこれらのさらに北東に位置していた。
■ 現況
現在本丸は個人所有の庭園となっており、二ノ丸・三ノ丸は住宅地となっている。
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■ 大手口跡
城の西側を通っている街道から三ノ丸跡西側に続いている。 |
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■ 搦手口跡
搦手口は大手口の南側に位置し、二ノ丸跡に続いている。 |
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■ 搦手口上部
大手口跡に比べて少々広くなっている。 |
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■ 本丸跡入口
搦手口跡を登り切ると二ノ丸にたどり着く。すぐ南西側が本丸跡である。 |
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■ 本丸入口空堀跡
本丸跡と二ノ丸跡の間には天然の谷を利用したと思われる空堀跡が存在する。 |
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■ 二ノ丸通跡
本丸跡から二ノ丸跡を繋ぐ通路跡である。この道の奥が本丸跡。 |
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■ 代官所・御蔵奉行所跡
二ノ丸通沿いに位置する。 |
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■ 二ノ丸枡形跡
二ノ丸から三ノ丸へ続く道である。はっきりと枡形が残っている。 |
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■ 三ノ丸跡
すっかり宅地化されており、遺構らしき物は残っていない。 |
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■ 御制札場跡
大手口と街道が交わる箇所である。藩政時代に禁令法度を掲示していた。 |
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■ 商店街
街道とT字路で交差している。突き当たった部分が御制札場跡である。 |
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