きおうだて
鬼王館
鬼王館 遠望  訪問年月日  2012年4月28日
 別称  和田館
 所在地  秋田県潟上市飯田川和田妹川大宮沢
 創築者  和田五郎盛季
 主要城主  和田氏
 築城年  元亀(1570〜73)〜天正(1573〜92)年間
 廃城年  −
 様式  山城
 構成  T郭〜Z郭
 遺構  郭・土塁・空堀・堀切
 設置・復原物  −
 文化財指定  −
 ■ 沿革
鬼王館は「和田の館」とも呼ばれ、三浦近江守盛実の子である和田五郎盛季が元亀年間(1570〜73)から天正年間(1573〜92)頃にかけて築いたとされる。なお、五郎盛季という名は子孫でもある浦城城主・三浦兵庫頭盛永の遺児・千代若も同じ五郎盛季と名乗っている。
約500m北に位置する鷲尾館と混同される事もあるが、鷲尾館は盛季の家臣の館であるといわれる。

鬼王館が廃された時期は不明であるが、鬼王館を含む周辺の館は天文年間(1532〜1555)から天正年間(1573〜92)頃にかけて安東氏の内紛である湊騒動のために急遽築かれ、争いが終わると共に存在価値が薄れたものと思われる。


 ■ 構成
八郎潟の南東、東方から北西方向にせり出した丘陵上の北端に位置する。
東端に位置するT郭は比高約20m、東西約40m×南北約120mの面積であり、西側に1段、東側に3〜4段の帯郭を擁している。T郭の基部である南側は幅約10mの堀切で区切っており、南側には比高約50mのU郭が位置する。
U郭は東西約100m×南北約40mの面積で全郭の中で最も広く、南東側に東西約45m×南北約25mの腰郭を伴う。U郭は西方に尾根続きでV郭へ続いているが、幅約10mの堀切で分断している。
V郭は北東から南西にかけて細長く、長さ約30m×幅約20mの面積で南東縁には高さ約1m、長さ約40mの土塁を擁している。
V郭の北西側にはW郭が位置し、東側に4段の帯郭を擁する。館の西端には尾根を南北に区切る3本の空堀が存在し、これにより3つの小郭が形成され、「チッチャ館」と称されている。U郭・V郭の位置する尾根とチッチャ館の間にはY郭、その南方にはX郭と小規模の郭が位置し、X郭は櫓跡と推察される。


 ■ 現況
現在、館跡のほとんどは林となっているが、郭跡、空堀などの遺構は比較的良好に残っている。
ただし、標柱・説明板などの案内は皆無である。

■ 北側外周
出入口が確認できないため、旧国道から北側を迂回してT郭北側より登る。
■ T郭
館域北東端に位置する。現在は藪で覆われている。
■ T郭西側腰郭
西側に一段低く位置する。少し前まで畑地として利用されていた様子。
■ T郭東側腰郭
数段の段築が設けられている。
■ T郭南側堀切
南側の基部が幅約10mの堀切で分断されている。
■ U郭
館域の中では最高所かつ最大の面積である。
■ U郭西側堀切
西側のV郭と堀切によって分断されている。
■ V郭跡
U郭とは尾根続きであるが、上記堀切によって分断されている。
■ V郭土塁跡か
縁部に若干の土盛が確認できる。
■ X郭
館域南端に位置する。櫓跡と推定される。
■ Y郭跡
V郭西側に位置する。
■ W郭
館域北西側に位置する。東側に4段の帯郭を設けている。
■ W郭井戸跡か
■ チッチャ館
館域西端に位置し、3本の空堀によって3つの小郭が形成されている。
■ チッチャ館南側空堀
幅10m程度の空堀が設けられている。