■ 沿革
太平川右岸に位置する通称明田富士に造られた館跡である。館主は香奇某・富士太郎という
■ 構成
主郭は富士大権現の碑がある頂部であると思われる。
東側・南側には帯郭・腰郭が設けられているが、西側は削り取られ極めて保存不良である。これは江戸時代に城下町形成の際に土を削って楢山の築地付近の埋め立てを行ったり、水田の客土として土砂を採取したためという。
■ 現況
現在は明田富士として富士大権現が祀られる公園となっている。
また、館の西南に磯前神社が祀られている。
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■ 入口
「明田富士山」の入口となっているが恐らく館の入口でもあったのだろう。 |
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■ 枡形か?
入口登ってすぐ登り道が90°左に曲がっている。ただ狭いから曲がっているだけなんだろうな。多分・・・ |
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■ 二ノ郭跡か
入口から登ると、正面に郭らしき広場に行き着く。手前で右に曲がりさらに登ると主郭跡である。
画像では右側階段から登って来る。 |
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■ 二ノ郭跡か
これは上記画像の奥の階段上から望んだところ。
主郭に次ぐ広さである。 |
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■ 主郭東側腰郭跡
主郭である頂部東側にある腰郭らしき場所である。主郭に沿って一段低くなっている。
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■ 主郭跡
頂部が主郭跡である。南側に主郭入口があって画像右手奥(主郭北側)に富士大権現が祀られている。
見晴らしがとても良く、秋田駅が一望できる。 |
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■ 主郭跡南側
富士大権現が祀られている辺りから主郭南側を望んだところ。
画像左側の一段低い場所は東側腰郭に至る。 |
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■ 馬頭観音堂跡
館跡の北側にある。土塁跡のような土の壁が残っている。 |
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■ 磯前神社入口
館跡南西にある神社である。
以前より釜木薬師が祀られていたが、佐竹藩主が水戸の大洗海岸にある磯前神社を招請したといわれる。
ちなみにこの画像左側に細い道が通り、その向こう側の地名は「館ノ越」である。 |
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