■ 沿革
孔雀館は富樫氏最後の居城である。
元亀元年(1570)、富樫氏7代左衛門太郎勝家は戸沢氏の命を受けて孔雀館を築城し、居城を土屋館より移した。
勝家は戸沢道盛・盛安・光盛の3代に渡って仕えた武将であり、戸沢氏の信任が厚かった。
天正18年(1590)に盛安が急死すると、盛安の弟である光盛が跡を継いだ。光盛が文禄元年(1592)の朝鮮役に出兵した際には、勝家は盛安の妾腹であった猿松(政盛)を預かり、後に光盛が早世した際に秀吉に対して政盛の所領を安堵させている。
慶長7年(1602)の戸沢氏転封の際、富樫氏8代安盛は老齢のため、弟である長兵衛を戸沢氏に随従させた。その後、孔雀館は廃城になったものと思われる。
■ 構成
孔雀館は東西70m×南北80mの規模の単郭の平城で、二重の水堀によって囲まれていたという。
大手は南側に位置し、土橋によって結ばれていた。
■ 現況
現在内堀と土塁の一部が残っており、城の南方200mの位置には勝家が建立した国重要文化財の古四王神社が存在している。
かつては永禄年間(1558〜1569)〜元亀年間(1570〜73)頃のものといわれる陣屋風の建物が残っていたが、明治29年(1896)の六郷地震の際に倒壊したという。
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■ 郭跡か
土塁周辺に僅かに残る段差。当時のものかは不明。 |
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■ 西側堀跡
現在は水田になっている。右側は土塁跡。 |
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■ 道路
主郭跡西側を通る。この先に胡四王神社が現存する。 |
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■ 南側堀跡
標柱のある土塁跡と胡四王神社の間に位置する。
古四王神社が堀の外側に建立されたということか。 |
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■ 古四王神社本殿
富樫左衛門太郎勝家が元亀元年(1570)、戸沢氏の命を受け建立した。
明治41年(1908)、特別建造物(後に国重要文化財に改称)に指定された。 |
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