三浦館 遠望 |
訪問年月日 |
2003年11月12日 / 2007年9月23日 |
別称 |
− |
所在地 |
秋田県大仙市内小友字南尻引 |
創築者 |
三浦美作守 |
主要城主 |
三浦氏 |
築城年 |
天正年間(1573〜93) |
廃城年 |
明治2年(1869) |
様式 |
平城 |
構成 |
− |
遺構 |
− |
設置・復原物 |
標柱 |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
三浦館は三浦氏の居館であった。
三浦氏の祖先は源頼朝の家臣である三浦義澄とされる。三浦氏は相模国を拠点としていたが、永禄年間(1558〜69)から元亀年間(1570〜73)の頃にかけて、三浦美作守は最上氏に仕えていた。その後、天正年間(1573〜93)の初め頃、美作守は仙北郡へ移って三浦館を築き、190石で小野寺氏の配下となった。その際に、三浦治部少輔政重と名乗っている。
政重は文武知略に優れていたとされ、天正15年(1587)の有屋峠合戦において小野寺氏配下として参陣し、首帳に名を挙げている。また、戸沢氏との交流において戦術を指南し、それに対する戸沢能登守光盛からの文書や、慶長8年(1603)の六郷一揆鎮圧における佐竹東家義堅からの感状があったと伝えられている。
その後の三浦館の詳細は不明であるが、館跡には三浦氏の子孫が代々住み続けていた。しかし明治2年(1869)の戊辰戦争における戦禍により館跡は焼失した。
■ 構成
東西約55m×南北約90mの面積で四方に外堀を配していたとされる。
■ 現況
現在は水田・宅地となっており、遺構はほとんど残っていない。
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■ 小友川
館跡の東側を流れ、天然の水堀としての役割を果たしていたものと思われる。 |
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