■ 沿革
百川館の館主・沿革等は不明であるが、文治5年(1189)の奥州合戦の論功行賞により小鹿島(現・男鹿市)一帯の地頭職を任じられた橘公業の所領、「桃河」の事であると考えられる。
百川館は恐らく橘氏の家臣、もしくはその代官の居館であったと想定できる。
■ 構成
男鹿街道が南北に通る下桃川集落の北側、宝光院の裏手の丘陵上に位置する。
舌状の基部を幅約8mの空堀で分断し、空堀東縁には掘り下げた土を利用したと思われる高さ約3mの土塁が設けられている。
主郭は三角形状で南側には帯郭が位置する。
■ 現況
現在、百川館跡は雑木林となっており、郭・土塁・空堀等の遺構は比較的良好に残っている。
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■ 土塁
上記画像右側、空堀の東縁には土塁が設けられている。 |
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■ 主郭東端
段築が確認でき、主郭の一部が張り出している・ |
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■ 宝光院
男鹿街道沿いに位置する。この奥が百川館となっている。 |
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