ながおかじょう
長岡城
長岡城  訪問年月日  2005年5月1日/09年5月4日/12年4月14日
 別称  扇田城
 所在地  秋田県大館市比内町扇田字長岡
 創築者  浅利民部大輔勝頼
 主要城主  浅利氏
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平山城
 構成  主郭
 遺構  郭
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
長岡城の創建時期に関しては明らかではないが、浅利氏の重要拠点として機能していた。
永禄5年(1562)、浅利則祐が安東勢に攻撃されて長岡の地にて自害した。それにより則祐の弟である勝頼が浅利氏を継いで、居城である中野城から十狐城へ移り、その後、長岡城を築いてさらに居城を移した。恐らく長岡の地には以前より十狐城の支城が存在してたと思われるが、本格的に城を築いたのは勝頼の頃と推測される。

勝頼が浅利氏を継いだ後、安東愛季は浅利氏の勢力拡大を恐れ始めた。そのため天正10年(1582)に勝頼は長岡城にて謀殺された。


 ■ 構成
扇田集落の南東約800mの地に位置する丘陵上に位置する。
北西から南東にかけて細長く、長軸約450m×幅約80m、比高約8〜10mの規模である。南西部には虎口と思わしき踊場が設けられている。


 ■ 現況
現在、城跡は住宅地となっており、一部が破壊されているが遺構は比較的良好に残る。

■ 南西側外周
■ 北西側
一部段築が残る。
■ 主郭
現在は宅地となっている。
■ 主郭南東側
腰郭状となっているが、後世の改変かどうかは不明。
■ 南東側切岸
比高4〜5mの規模で残る。
■ 北側外周
こちらも段築状となっているが、後世の改変の可能性もある。