■ 沿革
長牛城は当初、鹿角四頭の内の一人である秋元氏の居城であった。
秋元氏の出自は上総国秋元庄の宇都宮氏一族と言われ、長牛城の築城時期は不明だが、秋元弾正左衛門の時に秋田へ牢人として入ったという。その後、一戸南部氏の一族である一戸摂津守が入城し、以後一戸氏は長牛氏を名乗り、南部氏側の安東氏に対する抑えとなった。
−安東愛季の侵攻−
長牛縫殿介友義が城主の時の永禄9年(1566)、安東愛季の鹿角侵攻を受けた。友義は長牛城に籠城し、小川の流れが血で赤く染まったと言われる程の激戦の上、翌年三戸へ逃れ、長牛館と共に鹿角の地は安東氏の手に落ちた。
永禄11年(1568)、南部氏が鹿角に出兵すると安東氏は敗退し、南部氏は鹿角地方を奪還に成功した。友義はこの際の軍功によって再び長牛城を賜った。
■ 構成
長牛城は多数の郭によって構成されており、主なものは主郭・八幡館・タタラ館・ひや水館・矢投館・げんじょ館などである。
城は東西に長い台地上に位置し、東端に東西約40m×南北約50mの規模のタタラ館があり、北から南に流れる硯川を挟んで東西約70m×南北約40mの規模の八幡館がある。そのすぐ西側の郭が主郭であると伝わる。
■ 現況
現在八幡館には八幡神社が、主郭跡には大日堂が祀られている。
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■ 入口
大日神社入口となっている。八幡館はこの画像を撮影している私の背後に位置する。 |
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■ 空堀跡
本丸の南西に位置する。
天然の谷を利用したものであろうか。かなり大規模な空堀である。 |
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■ 郭跡か
上記画像のさらに奥に位置する郭らしき跡。 |
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■ 八幡館遠望
大日堂入口から北東を望んだ所。
中央の高台が八幡館。 |
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■ 八幡館頂部
畑や果樹園として利用されているようだ。 |
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