■ 沿革
小野城は、一説には文治年間(1185〜90)頃の築城とされる。
しかし実際には小野寺氏が雄勝郡に入部して稲庭城を居城とした小野寺経道の時代である建長年間(1249〜55)〜文永年間(1264〜74)頃に姉崎六郎によって築かれたものと思われる。
文禄2年(1593)、最上氏が雄勝郡に侵攻した際に、小野寺氏家臣である町田長右衛門は小野の住民300余名を率いて小野城に立籠もり、町田治郎左衛門と協力して応戦したが、翌日には落城した。
■ 構成
雄物川左岸、西から伸びる比高90mの尾根先端に位置する。
頂部を主郭とし、尾根鞍部を深さそれぞれ2m、1.5m、15mの三条の堀切と竪堀によって分断しており、南と東は急峻な崖で南側は雄物川が流れる天然の要害となっている。
■ 現況
郭などの遺構は良好に残っている。
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■ 登り口
東側斜面につづら折状の登り道があるが、恐らく近年のものかと思われる。 |
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■ 主郭への道
大人一人がやっと登れる位の幅である。 |
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■ 主郭跡
頂部に位置し、城内では最も広い面積である。 |
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■ 腰郭跡
こちらは北側の腰郭。主郭入口にも面している。 |
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