■ 沿革
太田城は、戸沢氏配下である太田氏の居城である。
『六郡郡邑記』によると、太田城の築城者として太田四郎秀頼の名が伝わる。菅江真澄の『月の出羽路』によると、太田城は太田小治郎某の居城とされており、また天正15年(1587)の唐松野合戦においては太田源七郎名が見える。
天正18年(1590)、太田城は豊臣秀吉の命によって戸沢三十五城の一つとして破却された。
■ 構成
東西65m×南北100mの面積の主郭を持つ単郭の平城である。
主郭の北西側には馬場が位置し、周囲を内堀と外堀の二重の堀と土塁で囲んでいる。
また、西方に「築地」の地名が残るが、館の跡かと思われる。
■ 現況
現在は大仙市役所太田支所や太田ひがし幼稚園となっており、内堀・土塁・外堀等の遺構が明瞭に残っている。
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■ 内堀と土塁跡
内堀の内側には土塁がめぐらされていた。 |
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■ 主郭跡
大仙市太田支所が存在し、様々な石碑が存在する。 |
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■ 太田四郎秀頼公の碑
かつての城主である太田四郎秀頼を偲んで建立された。 |
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■ 窪堰川
主郭の南側を流れ、外堀の役割を果たしていたと思われる。 |
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■ 馬場跡
主郭の北西側に位置する。
現在は幼稚園のグラウンドとなっている。 |
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■ 街道跡
県道50号線。城の東側を南北に通っている。 |
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