りゅうぞうじだて
龍蔵寺館
龍蔵寺館 遠望  訪問年月日  2012年7月21日
 別称  −
 所在地  秋田県大仙市北楢岡上龍蔵台
 創築者  龍蔵寺伯耆守
 主要城主  龍蔵寺伯耆守・鳥海弥三郎宗任・戸月刑部
 築城年  長禄年間(1457〜61)
 廃城年  永禄8年(1565)
 様式  山城
 構成  主郭
 遺構  郭・空堀・土塁
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
龍蔵寺館は龍蔵寺伯耆守が長禄年間(1457〜61)頃に築いたとされる。
伯耆守は雄勝郡松岡城主・柴田平九郎の家臣であったが、平九郎が主君である小野寺輝道に滅ぼされたため、伯耆守は仙北郡まで逃れて龍蔵寺館を居館にしたという。しかし、松岡城の落城の時期は天文年間(1532〜55)から弘治年間(1555〜57)の頃にかけてと伝えられており、整合性が取れない。
また、『月の出羽路』によると鳥海弥三郎宗任の居館であるとされ、『秋田沿革史大成』では戸月刑部なる者が居住していたと伝えられる。
永禄8年(1565)に落城したという。


 ■ 構成
比高約5m、台形状で北側が東西200m、南側が75m、脚が約160mの面積である単郭の館である。
北辺に上幅約2m・下幅約4m・高さ約2mの土塁が位置し、その下には上幅約8m・底幅約2m・深さ約5mの空堀を設けている。東辺には幅約4mの犬走が位置している。
西麓には長沼(別称:龍蔵沼)が位置しており、天然の内堀としての機能を持っていたものと思われる。


 ■ 現況
現在、館跡は龍蔵権現の社地となっており、土塁、空堀などの遺構は比較的良好に残っている。

■ 標柱
館跡南端に位置する。
■ 入口
上記画像奥に位置する。
■ 主郭
龍蔵権現の参道である。
■ 主郭
龍蔵権現。
■ 龍蔵台堰
館跡を斜めに分断する後世に作られた堰跡。
一見空堀に見えるが、地下を通した用水路となっている。
■ 北側土塁
上幅約2m・下幅約4m・高さ約2mの土塁跡である。
■ 北側空堀
上記画像の土塁外側に位置する上幅約8m・底幅約2m・深さ約5mの空堀跡である。
■ 長沼
館域西側に位置する。
一帯が湿地帯であるため、天然の内堀としての機能を持っていたと考えられる。