■ 沿革
下村館は由利十二頭の一人である下村氏の居館である。
正和年間(1312〜17)、和田義盛の一族・蘆名太郎(平太郎)清氏が信濃国より由利郡に入部し、下村氏を名乗ったものと思われる。室町時代に入り、応仁年間(1467〜69)頃に下村彦次郎宗長が下村館を築いた。
天文年間(1532〜54)から天正年間(1573〜93)にかけては下村蔵人秀長・蔵人奥長の父子が館主であった。奥長は元亀3年(1572)、石沢館の石沢氏と大琴山の高館において合戦に及び、天正10年(1582)に小野寺氏と由利勢が戦った大沢山合戦にも由利十二頭の一人として参陣している。また天正19年の九戸政実の乱にも出陣した。
文禄2年(1593.)、奥長は仁賀保氏らの攻撃により根城館で討死したと伝わるが、詳細は不明である。
−検地反対の一揆−
文禄4年(1595)、下村氏は鮎川氏・石沢氏・潟保氏・玉米氏らと共に豊臣秀吉の命により所領没収となり、他の由利郡の諸館と共に破却された。
慶長3年(1598)、下村氏と玉米氏の残党は秀吉の検地に反対し、下村館に1,000人が立て籠もった。しかし同じ由利勢である赤尾津氏、鮎川氏、潟保氏らに攻められ、下村氏、玉米氏らは滅亡した。
■ 構成
下村館は蔵集落の南方に位置する比高10m程度の段丘上に存在する。
居館部分である内館の東側に水堀を擁し、土橋によって主郭へと続いている。南西側には高瀬川が流れ、緩やかな斜面に空堀を擁している。
■ 現況
現在、内館跡は諏訪神社境内となっており、堀跡や土橋などの遺構が残る。
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■ 館跡入口
秋田県天然記念物である「岩館のイチョウ」の標柱が設置されている。 |
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■ 東側堀跡
幅5〜10m、長さ約200mの規模である。 |
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■ 東側水堀跡
水田と郭の間に湿地帯が位置し、水堀跡であると思われる。
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■ 東側水堀跡
上記画像の延長である。郭縁部の段築が確認できる。 |
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■ 諏訪神社
主郭である内館跡に祀られている。
下村氏の勧請と伝えられている。 |
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■ 内館跡
往時は屋敷数11軒であったと伝えられる。 |
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