たいへいじょう
太平城
太平城跡 標柱  訪問年月日  2003年9月15日
 別称  舞鶴館・オエダラ館
 所在地  秋田県秋田市太平目長崎字舞鶴館
 創築者  −
 主要城主  永井氏
 築城年  −
 廃城年  慶長7年(1602)
 様式  平山城
 構成  主郭・腰郭
 遺構  郭・空堀
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
太平をを支配した永井氏の城である。
天正16年(1588)、湊合戦では永井広治が湊安東氏に味方したが敗れ、後に永井氏は安東実季の家臣となった。

慶長7年(1602)、実季が常陸国宍戸へ転封になった際に実季に従って宍戸に移り、城は破却された。


 ■ 構成
標高40mの台地に位置し、南側には太平川が流れる。
主郭は東西約40〜80m、南北約190mと広く、その東側に腰郭を擁する。主郭の南側に約3段の腰郭が見られ、最南端の郭には井戸の跡が見られる。主郭の北には幅約10m、深さ約5m、長さ約30mの空堀があってこれを分断している。

これよりさらに約100m北に幅5m深さ2m、長さ約50mの空堀が走り、その外側を土塁状に盛り上げた遺構が見られる。隣接して八幡神社が鎮座している。永井氏の居城として防衛的に十分な普請などは特に見られないが周囲に支城を配し、防御には考慮したものと見られる。


 ■ 現況
現在主郭は畑となっている。

■ 太平城遠望
城の南側には太平川が流れる。
■ 入口
かなり細く急な登り口である。
■ 主郭
現在は畑に利用されている。
■ 主郭西側
主郭の西側には用水路が流れている。
もしかしたら当時は堀だったのかもしれない。