■ 沿革
高館の由来等は不明であるが、『郷村史略』によると秋田実季の家臣・工藤信久の居館とされる。
戦国時代に大館地方を支配した浅利氏には直接関係がなく、敵対していた秋田氏の勢力下にあったと推察される。 この信久は慶長7年(1602)に秋田氏が常陸国宍戸に転封になると、これに従っている。
■ 構成
比高約50m、東西約300m×南北約100mの小山稜頂部に位置する。西側は浸食谷が入り込み、東側と南側は下内川が流れる要害である。
頂部は南北に長く、中央部に空堀状の窪みで区切られて南北それぞれの郭を形成している。北郭は東西約50m×南北約75mの面積であり、南郭は50m×南北約70mと北郭とほぼ同等である。
これらの郭の周囲は腰郭状の段築が幅約3〜5m程度設けられている。
大館地方の城館の中では最も比高差が大きく、実戦向きの館であった。
■ 現況
現在、館跡の大部分は雑木林となっている。
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■ 入口
南側に位置する。
往時の物か、後世の改変かは不明。 |
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■ 北郭
頂部北側の郭である。
現在は雑木林となっている。 |
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■ 北郭東端
縁部に僅かながら窪みが見られる。極浅の空堀か。 |
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■ 北郭東側段築
北郭外周はほぼ腰郭状の段築が設けられている。 |
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