滝沢城 本丸跡 |
訪問年月日 |
2003年11月6日 / 2009年4月10日 |
別称 |
− |
所在地 |
秋田県由利本荘市前郷字館 |
創築者 |
滝沢刑部少輔政道 |
主要城主 |
滝沢氏 |
築城年 |
慶長8年(1603) |
廃城年 |
元和8年(1622) |
様式 |
平城 |
構成 |
本丸・二ノ丸 |
遺構 |
郭・水堀・土塁 |
設置・復原物 |
標柱・説明板 |
文化財指定 |
町指定史跡 |
■ 沿革
滝沢城は由利十二頭の一人に数えられる滝沢氏の居城である。
滝沢氏は天正3年(1575)、同じ由利十二頭の一人である矢島氏との戦いに敗れ、7代政家は討死した。政家の遺児である嘉門は山形へ逃れ、やがて最上義光に仕えた。
−わずか19年の命運−
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の後、由利郡は最上義光が領有することとなった。義光はそのうち滝沢郷1万石を滝沢刑部少輔政道に与えた。それにより政道は慶長8年(1603)、前郷の地に城を築いて居城とした。縄張は日野備中守が行い、最上十六城の一つに数えられた。
元和8年(1622)、最上氏が改易となると滝沢氏もこれに従い、由利郡では本荘城と共に滝沢城が破却された。
■ 構成
滝沢城は本丸と二ノ丸で構成されている。
本丸の面積は東西約95m×78m、二ノ丸の面積は東西約200m×南北160mであり、内堀と外堀、土塁によって外周を囲んでいた。
■ 現況
現在は二ノ丸跡に旧前郷小学校校舎が存在し、本丸跡はグラウンドとなっている。
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