としまじょう
豊島城
豊島城跡 説明板  訪問年月日  2005年5月6日
 別称  桑木城
 所在地  秋田県秋田市河辺豊島字豊成
 創築者  黒川肥後守
 主要城主  豊島氏
 築城年  永正元年(1504)
 廃城年  元和元年(1615)
 様式  山城
 構成  奥御殿(本丸)・前御殿(二ノ丸)
 遺構  郭・空堀・土塁
 設置・復原物  標柱・説明板
 文化財指定  県指定文化財(史跡)
 ■ 沿革
河辺郡の国人・豊島氏の居城である。
永正元年(1504)に黒川肥後守が築いたのが始まりとされ、永正3年(1506)に畠山重忠の末裔といわれる豊島玄蕃頭が常陸国よりこの地に入部した。

玄蕃頭の子である豊島次郎重村は由利十二頭の仁賀保氏から妻を迎えており、湊安東氏とは深い関係があった。そのため元亀元年(1570)の湊騒動の際には湊安東氏である高季に味方したが、檜山安東愛季に攻められ敗北し、重村は仁賀保氏を頼って落延びた。
その後は愛季の弟である茂季が豊島城に入って豊島殿と呼ばれていたが、元和元年(1615)の一国一城令により豊島城は破却された。


 ■ 構成
岩見川右岸にある山陵の末端を利用して造られており、入口には標柱・説明版が建っている。
急峻な道を登ったところに前御殿(二ノ丸)・奥御殿(本丸)と呼ばれる郭が存在している。
奥御殿の面積は東西約30〜40m×南北約100m、前御殿の面積は約東西50〜60m×南北約30mである。


 ■ 現況
現在は史跡として整備されている。

■ 豊島城遠望
画像中央部に標柱と説明板が見える。そこが入口になっている。
■ 入口
分かりづらいが標柱の右側の薄暗い山道を登っていく。
■ 前御殿への道
登りきったところで、向かって右側(前御殿)と左側(奥御殿)へ行く道へ分かれる。
これは画像右下に見える階段から登って来て、右手側(画像奥)の前御殿へ行く道。
■ 前御殿
城の南側に位置しており、奥御殿に次ぐ広さである。
見晴らしが非常に良く、南側の河辺戸島地区を一望できる。
■ 前御殿からの眺望
下に見える岩見川の手前に、秋田新幹線の線路が通っている。
奥には日本海東北自動車道が、中央やや左には「あきたスカイドーム」が見える。
■ 土塁
先程の分かれ道を左に進み、奥御殿を目指すと土塁跡が確認できる。
この先が奥御殿である。
■ 奥御殿跡
城の最も高所に位置し。奥行きもあるためかなり広く、東屋も設置されている。
■ 奥御殿東側
東側はこのように切り立っており、ここからの進入は難しそうだ。
■ 奥御殿南側
奥御殿への登り道途中にかなり狭いが腰郭のようなスペースがある。
今は木が1本生えているだけだが。
■ 豊島城地図