■ 沿革
植田城は別名小鼓城とも呼ばれ、大石氏の居城であった。築城時期は不明であるが、文亀元年(1501)頃には既に存在していたとされる。
天正14年(1586)の有屋峠合戦において植田城主である大石与九郎定景は小野寺勢として参陣し、文禄4年(1595)の大島原合戦において湯沢城下の燕橋にて討死した。
その後、植田城は文禄5年(1596)の最上氏の攻撃により、鍋倉城など近隣の城館と共に落城した。慶長3年(1598)には、斎藤左衛門ら率いる小野寺勢2,000人が奪還すべく討ち入ったが失敗に終わったという。
■ 構成
植田城は鍋倉城の南2kmの地に位置している。
■ 現況
現在は宅地化・水田化されされ、殆ど遺構は残っていないが、僅かに掘跡と思われる微低地が存在している
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■ 標柱
田んぼの真ん中に設置された標柱と石碑。
石碑裏には小鼓城(植田城と古四王神社の説明が記されている。 |
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■ 古四王神社遠望
画像手前に写っている標柱より南方数百メートル離れて位置する。 |
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■ 古四王神社
植田城主である大石与九郎定景が創建したという。 |
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