わきもとじょう
脇本城
脇本城 全景  訪問年月日  2003年6月7日 / 2006年8月5日・11月18日
 別称  生鼻城・太平城
 所在地  秋田県男鹿市脇本
 創築者  −
 主要城主  安東氏
 築城年  −
 廃城年  天正18年(1590)
 様式  山城
 構成  内館・古館・兜ヶ崎・天下道
 遺構  郭・空堀・土塁・井戸跡
 設置・復原物  標柱・説明板
 文化財指定  国指定史跡
 ■ 沿革
脇本城は湊城・檜山城と並ぶ安東氏一族の居城の一つであるが、安東氏がこの地を支配する前に既に城館として機能していたとされる。

−安東愛季の居城−
元亀元年(1570)、檜山安東氏の総領・安東愛季は湊安東氏を統合し、居城を湊城に移した。
天正年間(1573〜92)の頃、脇本城主は愛季の弟とされる脇本五郎脩季であったが、愛季は天正5年(1577)、脇本城に大規模な改修を施し、自らの居城とした。その際、嫡子である業季に湊城を任せ、次子である実季を檜山城に置いている。
天正15年(1587)、北浦の豪族である戸沢盛安が独立の動きを見せた。これを抑えるべく愛季は出陣し、刈和野の地で激突した。この唐松野合戦の最中に愛季は発病 し、愛季は密かに脇本城に運ばれたが懸命の看護や祈りも虚しく没した。

−湊合戦−
その後、次子である実季が安東氏の跡を継ぐと、愛季の弟である茂季の子・通季が反旗を挙げた。
その結果、湊城は旧湊安東氏の旧臣も多かったために通季に奪取され、実季は脇本城に撤退した。当初、実季は脇本城に籠城する事も考えたが、結局脇本城は重臣である大高相模に任せ、自身は檜山城に籠もった。
通季勢は早速檜山城を包囲したが、実季勢の必死の反撃と由利十二頭らの援軍により敗北し、実季は何とか安東氏の総領の地位を守りきることができた。
その後、脇本城は天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥羽仕置によって廃城になったといわれる。


 ■ 構成
脇本城は男鹿半島の南部付根に位置する生鼻崎丘陵に存在する。
内館・古館・兜ヶ崎によって構成され、中央を「天下道」と呼ばれる道が通っている。最も広大なのは内館であり、無数の郭群が存在している。内館のさらに奥には「馬乗場」と呼ばれる古館が存在する。


 ■ 現況
現在は国指定史跡に指定され、発掘・復原・整備されている。

■ 脇本城入口
県道59号線沿いに位置する。
この登道は「天下道」と称されるが、鳥居をくぐる石段が「男道」、右手の舗装されている方が「女道」と呼ばれている。
■ 天下道
県道59号線を挟んで脇本城の反対側、東側へ続いている。
この先は脇本の旧道のようだ。
■ 女道
いずれ上の方にある菅原神社付近で「男道」とは合流する。
■ 菅原神社
天下道脇に祀られている。
鎌倉時代に安東氏の氏神として建てられた。
■ 天下道
さらに登ると脇本城中心部である内館跡に入る。
■ 内館跡中心部
広場になっており、説明板が建てられ駐車スペースも設けられている。
■ 内館北側遠望
上記画像より北側を望んだところ。内館は天下道によって南北に区切られており、
南側より北側が若干高くなっている。北側空堀によってさらに東西に区切られている。
■ 内館北側頂部
中央部を大土塁によって区切られている。
■ 内館 館神堂跡
上記画像さらに奥に位置する。
堂跡は土塁で3方が囲まれた造りになっていたようだ。
■ 内館北側大土塁跡
内館の最も高い部分は土塁によってさらに東西に区切られている。
「L字状」になっているのが分かる。
■ 内館南東側
日本海が一望できる。
■ 内館空堀跡
幅10mはあろうか。
■ 内館虎口跡
上記画像空堀跡右手奥に虎口跡が位置する。
■ 内館井戸跡
かなり大規模である。
■ 内館土塁跡
このように各部分土塁によって仕切られている。
■ 内館南部へ
一方天下道の南側部分、生鼻崎方面を望む。こちらは家臣屋敷跡であるという。
■ 内館 家臣屋敷跡
この付近には多くの館跡が残っているという。
■ 家臣屋敷跡標柱
さらに生鼻崎方面に続く。
■ 生鼻崎
生鼻崎は文化7年(1810)の大地震によって700m余りが崩れ、海中に没したといわれる。
■ 天下道
内館の中央を通る天下道北側。
さらに奥へ続く。
■ 竪土塁群跡
天下道沿いにこのような標柱が建っているが竪土塁は確認できなかった。
■ 古館入口
天下道奥に小高い郭が存在する。
■ 古館跡標柱
別称「馬乗場」と呼ばれていたようだ。
■ 古館跡
内館跡とは違ってあまり土塁・空堀などで仕切られていない。
そのためかなり広大な一つの郭の印象を受ける。
■ 井戸跡か
特に表示は見られなかったが井戸跡であろうか。
■ 古館土塁跡
内館よりは小規模な土塁のようなものが若干残っている。
■ 生鼻崎遠望
地震で崩れた跡と思われる岩肌が露出している。
■ 地図
■ 2006年11月18日発掘説明会
県道沿い(天下道沿いでもある)の脇本城入口付近で屋敷跡が発掘された。