やぎはしじょう
八木橋城
八木橋城 遠望  訪問年月日  2012年4月14日
 別称  八木橋古館
 所在地  秋田県大館市比内町八木橋
 創築者  浅利政吉
 主要城主  浅利氏
 築城年  天文20年(1551)
 廃城年  −
 様式  平山城
 構成  北郭・南郭・古館
 遺構  郭・空堀
 設置・復原物  −
 文化財指定  −
 ■ 沿革
八木橋城は浅利政吉が500石の知行を持って城代を務めていた。
天文20年(1551)、花輪の門脇典膳の子である門脇兵庫助政吉が浅利則祐の妹を娶り、浅利氏の姓を賜って八木橋城の城主に任じられたとされている。
八木橋城の東方250mの地には「古館」と呼称される地名が残り、元々ここに城館が存在していた上で政吉が城主になる形で新たに八木橋城が築かれたとも推測出来る。
政吉は永禄5年(1562)に主君・則祐が内紛により自害すると出奔し、上洛して鷹匠となった。後に日本画を学び、佐竹氏に仕えて横手に居を構え、牛蘭と号して浅利長兵衛家の祖となっている。

文禄4年(1595)、浅利氏家臣で中野城主・片山弥伝彦四郎、十二所城主・浅利七兵衛らと共に八木橋城主の浅利伝兵衛内膳が秋田氏に出奔している。


 ■ 構成
南北に流れる板戸川の西方の丘陵上に位置する。西方の丘陵とは25m〜30mの空堀によって分断され、東側には板戸川が流れる。
面積は南北約300m×東西約200mの規模であり、南北の二つの郭によって構成されている。
北郭は北東から南西にかけて細長く、約100mの長さで幅は最大約30、比高は11m程度である。南郭は南北約100m×東西約20mので北郭同様細長く、中央部が一段低くなっており南北それぞれに小郭を設ける構造となっている。北側の小郭は南北約50m×東西約20m、比高約10mであり、南側の小郭は南北約50m×東西約20m、比高約7mである。

古館は東方約250mの地に位置し、南北約70m×東西約40mの楕円形であり、北東側に位置する空堀の幅は約20mの規模である。


 ■ 現況
現在は坂戸川の河川改修工事により、北郭の南端の一部が切削され、南郭は完全に消失している。
古館は天照皇大神宮の境内となっている。

■ 北郭南側
河川改修工事により、東側を流れていた板戸川が現在は北郭南側一部と南郭跡を流れる。
■ 北郭入口
南東側に位置する。
■ 北郭
■ 北郭
社が祀られている。
■ 北郭北端
北側が一望出来る。
■ 北郭北東側切岸
大きく抉れた断崖となっている。
■ 北郭北東側切岸
上記画像を下側から望んだところ。
■ 南郭跡
現在は板戸川が流れ、完全に消失している。
■ 空堀跡
幅25m〜30mの規模である。
■ 古館遠望
南側より望む。
■ 古館入口
天照皇大神宮の入口である。
■ 古館
天照皇大神宮の境内となっている。
■ 古館東側空堀
幅約20mの規模である。
■ 古館東側
上記画像の空堀奥である。
■ 遠望
画像右側が古館、左側が八木橋城である。