やなぎだじょう
柳田城
柳田城  訪問年月日  2008年6月12日 / 2009年4月3日
 別称  −
 所在地  秋田県湯沢市柳田字堀廻
 創築者  −
 主要城主  柳田氏
 築城年  −
 廃城年  慶長5年(1600)
 様式  平城
 構成  −
 遺構  郭・土塁
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
柳田城の創建時期は定かではないが、小野寺氏家臣である柳田氏の居城である。

−最上氏へ降伏−
天正14年(1586)の有屋峠合戦においては柳田半九郎が小野寺勢として参陣した記録が残る。
文禄4年(1595)、最上義光は楯岡豊前守満茂を総大将として、小野寺領である雄勝郡に侵攻した。その結果、西馬音内城主である小野寺茂道は最上氏に降り、それに伴って周辺の支城の城主らと共に柳田氏も最上氏に降った。この戦いにより湯沢城も落城し、楯岡満茂が城代となった。

−落城−
慶長5年(1600)、小野寺氏の一掃を狙った最上義光は、2万の軍勢をもって小野寺領への侵攻を図り、柳田城を攻撃した。城主であった柳田治兵衛道定は子息2人を三輪村杉ノ宮の吉祥院に預け、僅か500人で最上勢を迎え撃った。しかし多勢に無勢、柳田城は落城し、城主・道定以下ことごとく討死した。
落城後、西馬音内城よりの援軍が雄物川対岸まで到達したが、救援には間に合わず、防備を固めるに留まった。一方、最上勢としても道定に奮戦された事により小野寺勢に時間を与えてしまい、西馬音内城の攻撃には至らず引返している。


 ■ 構成
雄物川東側の平野部に位置する平城である。


 ■ 現況
現在は城域に八幡神社が祀られているが、遺構は宅地化によりほとんど消滅している。

■ 八幡神社
主郭と思わしき場所に祀られている。
■ 八幡神社境内
古碑が集められている。
■ 主郭古碑群
■ 主郭跡外周
一部段差が残る。
■ 城域
柳田集落となっている。
■ 城域
■ 城域西側
主郭跡の裏側、雄物川方面である。
■ 主郭遠望
西側より望む。
■ 雄物川
城域の西側を流れる。