■ 沿革
鯵ヶ沢館は鯵ヶ沢町の北端に位置する天童山に築かれた館である。天童山の西側に道路一本隔てた向かいの丘陵にある遺構も同じ鯵ヶ沢館のものと思われる。
天童山にはかつて「鯵ヶ沢古城堀切の城」があったと古書に記されており、一説には浪岡北畠一族である北畠天童丸の居館があったという。天童丸は出羽国の天童城を拠点にしていたとされるが、14世紀後半にこの地まで落延びて来たという伝承が残る。
後に寛永12年(1635)、津軽藩2代藩主信枚の弟である津軽百助信隆がこの地に長松館を建てた時、新町を作るために山を崩したといわれ、かつての天童山は現在よりも大きかったものと思われる。
正保2年(1645)、信隆はこの館を去って南方の七ツ石館へ移ったという。
■ 構成
鯵ヶ沢町漁師町南方にある丘陵上に位置し、また道路を挟んで東にある天童山も道路を堀切として分けた館跡であると推測される。
北・東・西の三方を断崖で守られ、南側のみが僅かに丘続きになっている。
■ 現況
現在天童山は公園になり、その西側向かいの丘陵頂部は畑として利用されている。
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■ 天童山入口
鯵ヶ沢館の東側に位置する天童山入口である。 |
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■ 天童山公園駐車場
天童山は現在公園となっており、段差が確認できる。が、遺構であるかどうかは不明。 |
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■ 西側丘陵
天童山西側の丘陵を望んだところである。 |
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■ 堀切
天童山と西側丘陵の間を区切っていた。現在は道路となっている。 |
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■ 西側丘陵頂部
平場になっている。現在は畑として利用されている。 |
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