■ 沿革
新屋城の創建時期は明らかではない。
天正年間(1573〜92)には新屋源次郎が1,900石の石高をもって城主であったとされる。新屋氏は尾崎城の尾崎氏らと同じく、大光寺城代の滝本播磨守重行の家臣であった。
天正3年(1575)、大浦為信の攻撃を受けて大光寺城が落城すると、源次郎は尾崎城主・尾崎喜蔵と共に為信に降伏し、以降は大浦氏に臣従した。
■ 構成
東西1,000m×南北300mの規模であり、主郭・町屋敷・東館・西館によって構成される。
東端に主郭が位置し、町屋敷、東館、西館と連郭式に続く。
各郭は1辺200m程であり、幅15〜20m・深さ6〜8mの堀で区切られていた。
■ 現況
現在、新屋城は新屋集落となっており、ほとんどが宅地化されている。
集落内の道路は当時の掘割であった。
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■ 主郭跡
八幡宮西側に伸びる道。かつての町屋敷からの大手道と思われる。 |
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■ 主郭西側堀跡
町屋敷跡と道路によって区切られている。 |
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■ 堀跡
町屋敷跡に南北に伸びる道路。
町屋敷と東館を区切る堀跡であると思われる。 |
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■ 標柱
東館付近に建てられている。
「天正2年(3年とも)、大光寺城代滝本重行の強襲をうけ落城した」
「大館・小館・西館・寺館などから成り」などの記述がある。 |
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■ 空堀跡か
上部から望む。通路となっているが空堀跡か。 |
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