新屋城 堀跡  訪問年月日  2006年8月20日 / 2009年5月5日
 別称  −
 所在地  青森県平川市新屋
 創築者  −
 主要城主  新屋源次郎
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平城
 構成  主郭
 遺構  主郭・町屋敷・東館・西館
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
新屋城の創建時期は明らかではない。
天正年間(1573〜92)には新屋源次郎が1,900石の石高をもって城主であったとされる。新屋氏は尾崎城の尾崎氏らと同じく、大光寺城代の滝本播磨守重行の家臣であった。
天正3年(1575)、大浦為信の攻撃を受けて大光寺城が落城すると、源次郎は尾崎城主・尾崎喜蔵と共に為信に降伏し、以降は大浦氏に臣従した。


 ■ 構成
東西1,000m×南北300mの規模であり、主郭・町屋敷・東館・西館によって構成される。
東端に主郭が位置し、町屋敷、東館、西館と連郭式に続く。
各郭は1辺200m程であり、幅15〜20m・深さ6〜8mの堀で区切られていた。


 ■ 現況
現在、新屋城は新屋集落となっており、ほとんどが宅地化されている。
集落内の道路は当時の掘割であった。

■ 八幡宮
主郭跡に祀られている。
■ 八幡宮参道
■ 主郭跡
八幡宮境内となっている。
■ 主郭堀跡
深さ5〜6mの規模である。
■ 主郭跡
八幡宮西側に伸びる道。かつての町屋敷からの大手道と思われる。
■ 主郭西側堀跡
町屋敷跡と道路によって区切られている。
■ 空堀跡
町屋敷北側である。
■ 空堀・切岸跡
町屋敷北側である。
■ 町屋敷東北端
■ 町屋敷跡
現在は新屋集落となっている。
■ 堀跡
町屋敷跡に南北に伸びる道路。
町屋敷と東館を区切る堀跡であると思われる。
■ 東館跡
町屋敷西側に位置する。
■ 標柱
東館付近に建てられている。
「天正2年(3年とも)、大光寺城代滝本重行の強襲をうけ落城した」
「大館・小館・西館・寺館などから成り」などの記述がある。
■ 空堀跡か
上部から望む。通路となっているが空堀跡か。
■ 西館跡
城域西端に位置する。
■ 東館・西館間堀跡
現在は道路となっている。
■ 北側堀跡
画像左側は東館跡。
■ 北側堀跡
幅約30m程度の規模の堀跡が残る。





あらやじょう
新屋城