■ 沿革
延徳3年(1491)に南部光信が種里に入部したのに伴い、光信の配下である対馬筑後にこの地が与えられ、ここに館を築いて住んだといわれている。
対馬氏は赤石方面の開拓にも従事していたので、ここ別所館と赤石館とで交互に居館したものと思われる。
■ 構成
郭らしき段差がみられる。
■ 現況
現在は館主の子孫である対馬氏が先祖の墓を守って館跡に住んでいる。館跡は宅地・田となっている。
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■ 別所館遠望
画像中央に見える民家は別所館の主の対馬氏の子孫であるという。 |
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■ 郭跡か
画像左の家がある所が主郭跡だとしたらこれが郭の跡であろうか。 |
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■ 対馬氏墓石
家から少しはなれたところに町指定文化財の対馬家墓石とその説明板がある。
説明板には津島氏となっており、対馬筑後は永禄3年(1560)に没したという。 |
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■ 中村川
館跡の近くを中村川が流れている。この下流に中村館が存在する。 |
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