■ 沿革
沿革は不明だが、この館にはかつて赤治鬼(あかじき)という勇猛な男が住んでいたといわれる。
赤治鬼はその名を近隣に轟かせていたが、坂上田村麻呂がねぶたを造って誘い出し、これを滅亡させたという。
赤治鬼とは、おそらく大和朝廷軍に対抗していた蝦夷であったと思われる。
■ 構成
南側より丘陵が続いており、北側は切立った崖、東西は急斜面で囲まれている。
頂部には直径60mに及ぶほぼ半円状の幅3〜5m・深さ1m程度の堀が認められるという。
往時には鉢巻状に一周していたと思われる。
■ 現況
藩政時代に館跡東方に溜池が造られており、往時の遺構は不明である。
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■ 北西側
外周を堀跡がめぐっているというが確認できなかった。 |
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■ 小狄ヶ館跡
狄ヶ館跡東方250mに位置し、小狄ヶ館と呼ばれる。
お互いの関連性は不明。 |
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■ 狄ヶ館溜池
館跡の東方に位置する。藩政時代に造られた。 |
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