■ 沿革
原子城の創建に関しては明らかではないが、城主に原子平内兵衛の名が見える。
平内兵衛は浪岡北畠氏の重臣であり、元亀年間(1570〜1572)から天正年間(1573〜91)の頃、原子城にて浪岡御所の北西の守りを固めていた。その事から天正6年(1578)、大浦(津軽)為信の浪岡城攻撃の際に原子城も攻撃されたものと思われる。
『津軽一統志』では平内兵衛が、浪岡城落城後に南部へ逃れていた記述が見られる。
■ 構成
主郭と思われる場所は八幡宮の西側に位置する郭で、東西約65m×南北約90m程の広さである。
■ 現況
城跡は現在果樹園となっている。
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■ 分岐
上記画像奥へ進むと左手に八幡宮、右手にはさらに奥へ進む分岐点がある。 |
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■ 八幡宮へ
左へ進むと八幡宮である。鳥居を越えた右側が妙に盛り上がっているようだ。 |
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■ 土塁跡か
上々記画像の盛り上がりである。郭のような・・・ |
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■ 主郭跡か
周りは果樹園か林なのだが、ここだけ開けている。 |
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■ 主郭跡か
分岐点から右へ、奥に進んだところから望んだところ。
画像左手奥が八幡宮境内である。 |
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■ 平場
国道101号線沿い、八幡宮脇に平場がある。郭の跡だろうか・・・ |
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