いなかだてじょう
田舎館城
田舎館城 土塁跡
 訪問年月日  2006年8月20日 / 2009年5月4日
 別称  −
 所在地  青森県南津軽郡田舎館村田舎館
 創築者  −
 主要城主  工藤氏・千徳氏
 築城年  −
 廃城年  天正13年(1585)
 様式  平城
 構成  主郭・外郭・東郭
 遺構  郭・土塁・掘
 設置・復原物  標柱・説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
田舎館城の創建は明らかではない。
しかし建武3年(延元元・1336)と同4年、当時田舎館地方を支配していた工藤右衛門貞行と、平賀郡地頭職であった曾我貞光が争った田舎館合戦の際には既に城館があったものと思われる。

−千徳氏の居城−
その後の文明7年(1475)、南部氏一族で浅瀬石城主・千徳政久の次子である千徳大三郎貞武(政実)が田舎館城主となった。
天正13年(1585)5月、田舎館千徳氏5代である掃部政武の代に、田舎館城は大浦(津軽)為信が率いる3,000騎に攻められ、城主政武以下330人余が自害・討死して落城した。

この戦いで政武の妻である於市は逃げ延びたが、為信が津軽統一後の慶長6年(1601)3月、敵味方合同の清水森大法会の際、祭壇の前に進み焼香を終えた後その場で自刃して果てたという。


 ■ 構成
田舎館城は堀で周囲を囲まれた方形状で300m四方の広さであり、北方にある八反田館の水門を閉じると外掘によって一面が湖沼となる構造であったという。
主郭は北西部であったと思われる。その北東側に堀を挟んで東西約300m×南北約200mの面積の外郭が位置し、東側には東郭が存在していた。


 ■ 現況
遺構はほとんど残っていないが、主郭の北隅跡に「盛コ(ヤマコ)」と称される小高い部分が残り、サイカチが植えられ、周囲との比高は6〜7m程になっている。

■ 生魂神社
主郭跡西側に祀られている。
■ 主郭西側堀跡
現在は用水路となっている。
■ 主郭跡
現在は住宅地になっている。
■ 主郭跡
画像中心部に見える木が主郭北辺土塁跡である。
■ 主郭北側土塁跡
周囲の住宅地や田より小高くなっており、樹齢400年のサイカチの木が残る。
通称「ヤマコ(盛コ)」。
■ サイカチ
伝承では為信の攻撃で落城した田舎館城兵330余名を埋葬した際の供養樹であるという。
■ 土塁頂部
サイカチの他、標柱や説明板、石碑が設置されている。
■ 土塁よりの眺望
水田が広がる。
■ 主郭遠望
土塁跡が目立ち、郭の縁部が明瞭である。
■ 主郭東側堀跡
現在は用水路および道路となっている。
■ 外郭跡
主郭北東側に位置する。
■ 胸肩神社
外郭跡に祀られている。
■ 東郭跡
現在は住宅地となっている。
■ 田舎館村役場入口
村役場の建物は天守閣風であり、入口もこの様な城門風。
一見ここが田舎館城跡と思われがちであるが厳密には異なる。
■ 田舎館村田んぼアート
田舎館村は役場の裏手に古代米「紫稲」「黄稲」、現代品種「つがるロマン」と色の違う稲を植え、毎年テーマを変えて巨大な絵を描いている。
ちなみに2006年は「風神雷神図」である。年々レベルが上昇している。
■ 主郭遠望
画像左側の繁みが北辺の土塁「ヤマコ」。中央の繁み周辺が主郭である。