石名坂館 遠望  訪問年月日  2006年8月20日 / 2009年5月5日
 別称  −
 所在地  青森県黒石市石名坂
 創築者  佐藤元春
 主要城主  石名坂近江守正長
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平山城
 構成  主郭・外郭
 遺構  郭・堀・土塁
 設置・復原物  −
 文化財指定  −
 ■ 沿革
石名坂館の創建は明らかでは無い。
源頼朝の奥州合戦の際、平泉の落武者・佐藤元春が館主であったという伝承が残る。

戦国時代には元春の子孫が石名坂氏を名乗り、浅瀬石城主・千徳氏の配下になった。南北朝時代には千徳氏5代政晴の子である小四郎久清が石名坂左近の養嗣子となっている。

天正13年(1585)、大浦為信が田舎館城を攻撃した宇杭野合戦の際、浅瀬石千徳氏の配下に石名坂近江守正長の名が見える。正長はこの合戦において討死している。


 ■ 構成
石名坂館は単郭、もしくは2郭による館であったと思われる。
主郭の面積は東西200m×南北140mで方形状である。
主郭東側には外郭が存在していたと思われ、面積は主郭の約半分程度である。


 ■ 現況
現在は主郭跡に稲荷神社が祀られている。
その東側周辺は住宅地となっているが、こちらも主郭部分であったと思われる。

■ 主郭北側土塁跡
宅地の中にも土塁と思われる段差が確認できる。
■ 主郭北側土塁跡
二段の土塁が設けられている。
■ 主郭北側堀跡
現在は水路となっている。
■ 主郭北側
稲荷神社参道となっている。
■ 稲荷神社入口
主郭北側が参道となっている。
■ 主郭
現在は稲荷神社の境内となっている。
主郭の西側半分を占めていたと思われる。
■ 主郭
稲荷神社東側は宅地となっている。
■ 主郭東側堀跡
外郭と区切られている。
■ 外郭北西側
主郭跡の東側に位置する。
■ 外郭南西側
土塁跡と思われる段差、また堀跡と思われる水路が存在する。
■ 主郭西側
一部が駐車場として改変されているが、土塁跡が残る。
■ 主郭西側
比高10m程度の郭跡である。
■ 主郭南側
比高20m程度の切岸であったと思われる。
■ 浅瀬石川
館跡の南側を流れる。





いしなざかだて
石名坂館