■ 沿革
石名坂館の創建は明らかでは無い。
源頼朝の奥州合戦の際、平泉の落武者・佐藤元春が館主であったという伝承が残る。
戦国時代には元春の子孫が石名坂氏を名乗り、浅瀬石城主・千徳氏の配下になった。南北朝時代には千徳氏5代政晴の子である小四郎久清が石名坂左近の養嗣子となっている。
天正13年(1585)、大浦為信が田舎館城を攻撃した宇杭野合戦の際、浅瀬石千徳氏の配下に石名坂近江守正長の名が見える。正長はこの合戦において討死している。
■ 構成
石名坂館は単郭、もしくは2郭による館であったと思われる。
主郭の面積は東西200m×南北140mで方形状である。
主郭東側には外郭が存在していたと思われ、面積は主郭の約半分程度である。
■ 現況
現在は主郭跡に稲荷神社が祀られている。
その東側周辺は住宅地となっているが、こちらも主郭部分であったと思われる。
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■ 主郭北側土塁跡
宅地の中にも土塁と思われる段差が確認できる。 |
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■ 主郭
現在は稲荷神社の境内となっている。
主郭の西側半分を占めていたと思われる。 |
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■ 外郭南西側
土塁跡と思われる段差、また堀跡と思われる水路が存在する。 |
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■ 主郭西側
一部が駐車場として改変されているが、土塁跡が残る。 |
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■ 主郭南側
比高20m程度の切岸であったと思われる。 |
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