■ 沿革
金木館は浪岡御所の北畠氏の家臣である金木弾正忠の居館とされる。
また天正年間(1573〜92)には対馬右衛門太郎と名乗る豪族が居住していたといわれ、その子孫である津島氏が今もこの地に住んでいるという。この対馬右衛門は、大浦(津軽)為信が天正16年(1588)に飯詰城を攻めた際、尻無方面(五所川原市)から為信を導いた人物であるとされる。
なお、金木には昔「金城」という城があり、これが地名になったという伝承がある。
■ 構成
旧金木町の中心街のある丘陵西端部に「高屋敷」と呼ばれる場所があり、これが金木館跡であるといわれ、南に通る道はかつて沢になって堀の跡であるとされる
■ 現況
現在は住宅地となり、ほとんど遺構は残っていない。
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■ 段差
金木館北側は高台になっている。現在は住宅地となっており、遺構と思えるものは皆無である。 |
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■ 堀跡か
西側である。この空地は堀にしては広すぎるので、かつては郭だったのかもしれない。 |
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