くろいしじょう
黒石城
黒石城 石碑  訪問年月日  2006年8月20日
 別称  旧黒石城
 所在地  黒石市境松
 創築者  工藤右衛門慰貞行
 主要城主  工藤氏・津軽氏
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平城
 構成  内広市館・外広市館・花館
 遺構  −
 設置・復原物  石碑
 文化財指定  −
 ■ 沿革
黒石城は江戸時代の黒石藩の陣屋が「黒石城」と呼ばれているのに対し、「旧黒石城」とも呼ばれる。

鎌倉時代の末期、工藤右衛門慰貞行が田舎郡の地頭代として入部した。
貞行は建武3年(延元元・1336)の田舎館合戦の際には南朝方として参加し、元亨3年(1323)以後の藤崎安東氏の内乱や、正慶2年(元弘3・1333)〜4年の大光寺館合戦、石川館合戦においても活躍し、恩賞によって領地を拝領している。黒石城はこの貞行の居城であったとされる。

その後の詳細は不明であるが、津軽統一後に津軽為信が隠居城として居城していたという。


 ■ 構成
黒石城は内広市館・外広市館・花館の3郭で構成されている。
内広市館は東西約180m×南北100m、外広市館は東西・南北共に約100mの広さで、花館の規模は不明である。


 ■ 現況
遺構は浅瀬石川の洪水や開拓で破壊され、ほとんど残っていない。

■ 石碑
県道38号線沿いに設置されている。
■ 石碑
石碑を西側から少し離れて見たところ。
この道を進むと黒石陣屋に至る。
■ 県道38号線西側
上記画像の反対側、西方向を望んだところ。
■ 黒石城 遠望
2006年8月現在、県道38号線の黒石城石碑のある部分に交差するように新道が出来ている。
ただでさえ少ない遺構が・・・
■ 黒石城 遠望
見渡す限り、田や原っぱとなっている。