くろいしじんや
黒石陣屋
黒石陣屋(黒石城) 石碑  訪問年月日  2006年8月20日
 別称  黒石城
 所在地  黒石市黒石
 創築者  津軽信英
 主要城主  津軽氏
 築城年  明暦2年(1656)
 廃城年  明治4年(1871)
 様式  平城
 構成  −
 遺構  郭・空掘
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
黒石陣屋は弘前藩の支藩である黒石藩の居城である。

明暦元年(1655)、弘前藩3代目藩主である津軽信義が亡くなり、その子信政が4代藩主を継いだ。
しかし信英は幼少だったため、その後見として信義の弟である津軽信英が明暦2年(1656)、津軽郡の黒石・平内と上野国勢多郡で5,000石を分知され支藩の黒石藩を成立、旧黒石城から1km程東方に陣屋を築いた。
寛文2年(1662)に信英が死去すると、5,000石をさらに分知されて4,000石になるが、文化6年(1809)、黒石藩8代藩主親足が本藩の弘前藩より蔵米6,000石を分与され、1万石となり諸侯に列せられた。

明治4年(1871)7月、廃藩置県により黒石藩は黒石県となった。
だが9月には弘前県に合併され、黒石陣屋は廃城となって建造物は払い下げられ、破却された。


 ■ 構成
黒石陣屋の南方には浅瀬石川が流れ、陣屋と浅瀬石川の間には宇和堰・小阿弥堰が流れている。
大手門は北側に位置していた。西側に馬場、南東には津軽信英を祀った御廟があり、南西の宇和堰を挟んで蝦夷館が存在していた。


 ■ 現況
現在陣屋跡は黒石市民文化会館の敷地に、馬場跡は御幸公園、藩祖信英の御廟所は黒石神社境内となっている。

■ 馬場跡
現在は御幸公園になっている。
画像中央奥が蝦夷館。
■ 蝦夷館へ
馬場と蝦夷館の間には空堀が存在している。
■ 空堀
左側が馬場、右側が蝦夷館。
■ 空堀
橋の上から見たところ。
■ 蝦夷館
画像右手が馬場館からの入口。