みずきだて
水木館
水木館跡 熊野宮  訪問年月日  2006年8月20日
 別称  −
 所在地  青森県南津軽郡藤崎町水木
 創築者  −
 主要城主  水木氏
 築城年  −
 廃城年  永禄5年(1562)
 様式  平城
 構成  主郭
 遺構  郭・土塁・掘
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
水木館は浪岡城の北畠氏一族で、川原館を再興した北畠具信に関係する館とされ、一説には北畠氏の重臣である水渓(水木)右京亮綱親の居館であるとされる。

永禄5年(1562)、「川原御所の乱」が起きた。
川原館の北畠具信が、浪岡城の北畠具運を殺害したのである。直ちに浪岡北畠勢は川原館を攻撃し、川原館は落城した。その後川原、川原北畠氏の残党は水木館に立て籠もったが、これも間もなく落城したという。
この戦いより、川原館の具信は戦死した。

この乱以後、浪岡北畠氏の力は急速に衰え始めた。一方、川原館の北畠氏の子孫は水木氏を名乗り、後に浪岡氏を滅ぼした大浦(津軽)氏に服属して江戸時代まで続いた。


 ■ 構成
水木館は熊野宮の北側に位置し、東西約110m×南北約170mの広さであり、郭の間は堀で分けられている。


 ■ 現況
現在館跡は熊野宮を中心にりんご園や水田となっている。

■ 熊野宮遠望
西側から望んだところ。左側が熊野宮である。
右側の住宅の土台も郭っぽいが、これは後世の物か。
■ 国道7号線バイパス
館跡の南側を通っている。
こちらも高くなっているが後世の物だろう。
■ 主郭跡
現在はりんご園になっている。