■ 沿革
中里城の創建は明らかではないが、発掘調査の結果、遺構は縄文時代前期(約5500年前)まで遡れるという。
城主に関しては、建武元年(1334)の『津軽降人交名注進状』に新関又二郎の名が見える。
他には津軽氏に追われて南部八戸へ逃れた中里半四郎や、また城の西下には高坂修理の居館があったとされる。
■ 構成
中里城は、津軽山地より西へ伸びる標高約50mの丘陵上に位置し、3つの区画から構成され、主郭と思われる郭の周囲には帯郭や空堀、土塁などが見られる。南の神明宮のあたりまで城域であった様である。
■ 現況
現在は「中里城史跡公園」として整備されている。
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■ 通路
上記画像を登りきったところ。右側が主郭へ、左側が神明宮へと分れている。
これは主郭方向を望んだところ。 |
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■ 主郭跡東側
主郭跡は中央で空堀と土塁で区切られている。 |
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■ 主郭土塁・空堀跡
主郭中央部を区切っている土塁と空堀である。
土塁側が西側である。 |
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■ 橋
空堀南側に位置する橋である。
木橋で再現されている。 |
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■ 主郭柵列
主郭の南側85mにわたって柵列がめぐらされていたものと思われる。 |
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■ 主郭空堀跡
主郭南側は柵列がめぐらされているのに対し、北側は空堀がめぐらされている。 |
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