■ 沿革
柴崎城は福島城の支城である。
安東盛季が嘉吉3年(1443)、南部氏の攻撃によって居城の福島城から唐川城に逃れ、さらに渡島(北海道)に逃れる際に最後に立て籠った城といわれる。
安東氏は渡島に逃れた後も度々津軽奪還のために南部氏に抗争を仕掛けた。
■ 構成
日本海に突き出た尾崎半島の北側に位置する。
本丸は東西約120m×南北約15mの平地で、堀跡や土塁なども見られるが、神明社としての遺構と思われる。
■ 現況
旧小泊村の港西端の山道を登って600m先にある主郭跡に神明社が建てられている。
|
■ 入口
旧小泊村の港の端にひっそりと神明宮入口がある。
かろうじて柴崎城址の説明板があるのでここが入口だと分かる。 |
|
■ 階段
鳥居をくぐると、民家の間を縫うように階段がある。 |
|
■ 堀跡か
途中に川が流れており、堀になっていたと思われる。 |
|
■ 山道
川を越えると険しい山道へ。右手は岩で左手は崖である。
オイオイ手摺がズレ落ちてますよ・・・ |
|
■ 主郭入口
登りきったところにまた鳥居が。
ここからが主郭入口である。 |
|
■ 鳥居前の駐車場
ちょっとした広さであり、かつては腰郭であったのかもしれない。 |
|
■ 主郭
神明宮境内となっている所が主郭跡である。 |
|
|
■ 大澗
柴崎城の背後はすぐ海であり、天然の要害でもある。 |
|
■ 柴崎城遠望
画像左の木が厚いところが主郭跡である。 |
|