田中館跡 |
訪問年月日 |
2009年5月4日 |
別称 |
− |
所在地 |
青森県平川市南田中 |
創築者 |
田中宗右衛門宗久 |
主要城主 |
田中氏 |
築城年 |
天正8年(1580) |
廃城年 |
寛永11年(1634) |
様式 |
平城 |
構成 |
− |
遺構 |
堀 |
設置・復原物 |
− |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
田中館は田中宗右衛門宗久の居館である。
天正3年(1575)、大浦為信の攻撃を受けて大光寺城が落城し、城主・南部光愛の子である六郎と七郎は比内地方に逃れた。天正7年(1579)、六郎と七郎は安東氏の支援を受け、同じく為信に追われた滝本重行や北畠顕則らと共に比内より津軽へ侵攻し、大浦為信と戦った。この六羽川合戦において大浦勢は劣勢に陥り、為信も伏兵に狙撃されかかったが、家臣である田中太郎五郎吉祥が為信の身代りになり、銃撃され死亡した。敵方の大将を討取ったと誤った比内勢は浮足立ったところを大浦勢に襲撃され、敗退した。
その功により、吉祥の子である宗久が100石の加増を受け、天正8年(1580)に新屋領の田中に居館を構え、田中館と称した。
後に跡を継いだ勘右衛門は寛永11年(1634)に弘前城に移ったため、田中館は破却された。
■ 構成
空堀や土塁で構成されていたといわれるが、現在は堀跡の一部が水路として残っているだけである。
■ 現況
現在は館跡に熊野宮が祀られている。
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■ 町内
現在は宅地化され、構成はほとんどが不明である。 |
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