■ 沿革
青山城は、佐原十郎義連の孫である佐原五郎左衛門尉盛時、もしくはその子孫が築いたといわれる。
その佐原氏は加納殿と呼ばれ、青山城を居城として耶麻郡加納荘を支配した。
応永9年(1402)には、青山城主・佐原新左衛門平実詮が、新宮荘の地頭である新宮次郎盛俊に攻められ、この時に青山城は落城し、佐原氏は滅亡したものと思われる。
■ 構成
城は大きく分けて東城と西城に分かれており、平地に築かれた東城は居館にあたり、丘陵に築かれた西城は詰めの城としての意味合いであったと思われる。
西城は北郭と南郭に分れており、土塁と空堀で囲まれていた。北郭と南郭は土塁で区切られ、東側には物見櫓台と思われる櫓台が存在する。
入口は北郭の北側・西側に位置し、南郭にある現在の日枝山王神社入口は後世のものと思われる。
南郭の南端は土塁が三重の段差になっている。
■ 現況
東城は江戸時代初期頃から民家となってしまい遺構は失われており、現在残っているのは西城のみである。北郭と南郭が存在しており、空堀・土塁などが残る。櫓台跡には日枝山王神社が祀られている。
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■ 入口
城の南側に位置する。入口から入ると南郭に出る。 |
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■ 櫓台跡
かつては物見台としての櫓があったものと思われる。 |
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■ 北郭・南郭間土塁
北郭と南郭を隔てる土塁である。 |
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■ 西側外周
城の西側、県道335号線沿いである。土塁で囲まれている。 |
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■ 西側虎口跡
西側の土塁が一部切れ、北郭への虎口が存在する。 |
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■ 北側虎口 土橋
上記画像の空堀の一部に土橋がある。 |
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■ 北郭跡
北側虎口・西側虎口はこの北郭に通じている。 |
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