■ 沿革
中世の豪族である三浦氏および相馬氏の居城である。
文治5年(1189)、源頼朝の奥州征伐に参加した下総国相馬御厩の相馬師常は、恩賞として行方郡の地頭職を与えられた。しかし相馬氏は約130年の間、下総に居住したまま行方を支配していた。
元亨3年(1323)、相馬重胤が下総から行方郡に入部した際、家臣の太田兵衛に迎えられて太田村にある別所館を居城にしたという。別所館にはそれ以前、鎌倉幕府の御家人である三浦義澄の末裔といわれる三浦左近国清という人物が住んでおり、相馬重胤の入部と共に館を明け渡したといわれる。
重胤は別所館に3年居住した後、嘉暦元年(1326)、行方郡小高村堀内に小高城を築いて移った。
■ 構成
相馬太田神社の妙見神が祀られている境内が高台となっており、さらに空堀の一部が残るが詳細は不明。
■ 現況
現在相馬三妙見の一つである相馬太田神社となっているが、あとはほとんど田地となっている。
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■ 相馬太田神社入口
社殿のある場所は高台になっている。 |
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■ 搦手か
上記画像の裏手と神社をつなぐ道。
恐らく搦手と思われる。 |
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■ 太田兵衛屋敷跡
神社より西に数百m程の場所に位置する。
標柱が風化により判読出来なかったが、相馬氏の入部に際して別所館の斡旋を行った太田兵衛の屋敷跡のようだ。
現在は水田になっている。 |
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