五十目館 土塁跡 |
訪問年月日 |
2004年5月2日 / 2009年9月20日 |
別称 |
古館 |
所在地 |
福島県福島市五十辺字館前 |
創築者 |
伊賀良目七郎高重か |
主要城主 |
伊賀良目氏(尾形氏) |
築城年 |
− |
廃城年 |
− |
様式 |
平城 |
構成 |
主郭 |
遺構 |
土塁・堀 |
設置・復原物 |
− |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
五十目館に関しては、天保12年(1841)の『信達一統志』に、
「海道の東にあり、平泉実記に佐藤荘司が叔父五十目七郎高重をこれに居らしむ」
と記されており、『吾妻鏡』にも文治5年(1189)に信夫荘司の佐藤元治と共に石名坂で源頼朝と戦った事が見える。
また、『尾形正流系図』では、伊賀良目七郎高重を五十目館の初代館主とし、応永23年(1416)〜大永元年(1521)までに伊賀良目氏を改めて尾形氏を称したとされるが確証は無い。
その後も五十目館は尾形氏の本拠であったと推測するが、その後の動向は定かではない。
■ 構成
五十目館の広さは東辺120m・西辺90m・南辺150m・北辺132mの規模であり、
空掘と土塁が設けられていた。
大手口は「館前」の地名から推測するに南側に面していたとされる。
北方にはかつて阿武隈川や松川が流れており、これらが自然の外堀の役割をしていたと思われる。
■ 現況
現在は宅地化され、遺構はほとんど残っておらず、僅かに北辺の土塁が残っている。
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■ 土塁・堀跡
北側に一部残る。
道路が堀跡であったと思われる。 |
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