■ 沿革
飯野平城は磐城地方を治めた岩城氏の居城である。
文明15年(1483)、岩城親隆の嫡子である常隆が飯野平城を築いて白土城より移ったとされる。
岩城氏はその後磐城地方を支配し、白河郡の白川氏とも争い、常陸国まで侵攻して佐竹氏を服属させ勢力を拡大したが、下野国に侵攻した際に宇都宮氏に敗れた。それ以降は勢力も衰え、
慶長7年(1602)、関ヶ原合戦において徳川氏に味方しなかった事により、佐竹氏らと共に所領を没収された。
その後、替わりに入部した鳥居忠政は慶長8年(1603)、新たに平城を築き、居城を移したため飯野平城は廃城となった。
■ 構成
飯野平城は「大館城」「高月館」「飯野八幡宮」を含む一帯を総称している。
その中心となる大館城の主郭が位置する権現山は通称「千畳敷」と呼ばれており、北側にある八幡小路との間は掘底道として利用されていた。主郭の他には山の中腹に人工的な郭が数ヶ所存在している。
■ 現況
現在大館城跡は主郭跡に慰霊碑などが建てられ、公園として整備されている。
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■ 主郭への道
画像左上に登り道が見える。
丘陵を利用した郭のようだ。 |
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■ 腰郭か
登り道途中にある小さな郭のようだ。
この様な郭が無数に存在する。 |
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■ 二ノ郭か
主郭手前の比較的大きな郭である。
現在は駐車場に使われているようだ。 |
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■ 主郭北側
主郭北側はよく開けており、町内が一望できる。 |
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■ 主郭北端
主郭北側の最も見晴らしの良い所。
かつて物見があったかのような盛り上がりがある。 |
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■ 主郭中央部
主郭は若干緩やかな傾斜となっており、中央部には慰霊碑が建てられている。 |
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■ 主郭南側
北側と相反し、木が生い茂って少々薄暗い。 |
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■ 主郭西端
いきなり切り立った断崖となっている。 |
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