鎌田城跡  訪問年月日  2004年5月2日
 別称  −
 所在地  福島県福島市鎌田字古館
 創築者  宇野中務小輔源信治
 主要城主  蘆名氏
 築城年  弘長2年(1262)
 廃城年  ?
 様式  平城
 構成  主郭・二ノ郭
 遺構  土塁
 設置・復原物  
 文化財指定  −
 ■ 沿革
鎌田城は、弘長2年(1262)に大和国から入部した宇野中務小輔源信治によって築かれた。
信治は鎌田荘を拝領して後に鎌田氏を称し、その所領は300貫とも5,000貫ともいわれる。
後の伊達晴宗の時代には、鎌田四郎兵衛某が鎌田郷に拠って杉目城代を兼ねたとされ、慶長年間(1596〜1615)には鎌田和泉守源親行・鎌田兵部尉源親名の名前が見え、鎌田氏は累代鎌田城を居城にしていたと思われる。


 ■ 構成
鎌田城の広さは東西約113m×南北約139mの規模とされ、主郭・二ノ郭で構成されており南北と西面に土塁と堀が設けられていたという。


 ■ 現況
現在は文永年間(1264〜75)に宇野信治が創建した曹洞宗鎌秀院が主郭跡に存在する。
西側には土塁跡が残り、耳取川が流れている。
■ 主郭跡
鎌秀院の境内が主郭跡とされる。
鎌秀院は宇野信治が創建したと伝えられ、「鎌秀院殿源性信大居士」という信治の法名を寺名にしている。
■ 土塁跡
西側の土塁である。
脇には耳取川が流れ、自然の外堀の役目を成していたと思われる。





かまたじょう
鎌田城