■ 沿革 
                  応永12年(1405)、二本松城主・畠山宮内少輔国詮の長子である畠山上野介満国は、川崎村大将内地を与えられ館を築いた。これが三島館であるとされる。 
                  以降、満国は川崎畠山氏として2代持久・3代持勝・4代政兼・5代宗頼と続いた。 
                   
                  −宗家に敗れる− 
                  川崎畠山氏は5代宗頼の時、宗家である二本松城主・畠山義国と争って敗れた。この争いにより宗頼は殺害され、元亀3年(1572)に川崎畠山氏は滅亡した。 
                  その後、三島館の一部である岩倉館に畠山氏の家臣・遊佐内蔵頭重明が入って館主となった。それにより三島館は天正2年(1574)に三島神社へ寄進された。しかし遊佐重明も天正13年(1585)に伊達政宗の攻撃を受け、岩倉館は落城した。 
                   
             
             ■ 構成 
                  駒寄川の南岸の丘陵上に位置し、東から三島館・中館・岩倉館と3つの館によって構成されている。 
                  一説には三島館を本丸、岩倉館を二ノ丸、中館を三ノ丸として位置付けているが、当初の川崎畠山氏の時代に主に使用されていたのが三島館、後の遊佐氏の時代に岩倉館を使用していたとも見て取れる。 
                  三島館は、南が大手口であり、東側・西側・北側は急斜面となっている。主郭は中央部で周囲に帯郭を擁し、南北100mにも及ぶ。南側は堀切によって区切られていた。 
                  中館は、三島館の西側の深い渓谷を隔てて位置しており、数段の帯郭を擁している。 
                  さらに西側へ深さ2〜3mの堀切を経て岩倉館が位置し、岩倉館の東側と北側は急斜面で西側に2〜4段の帯郭を擁している。 
                   
             
             ■ 現況 
                  現在、三島館跡は三島神社となっており、比較的遺構は良好に残る。 
                  中館・岩倉館は未整備のため、到達は難しい。 
                   
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                  ■ 大手口 
                        三島神社入口である。 
                        館跡の南側に位置する。 | 
                 
              
             
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                        ■ 堀切 
                        上記画像の道路を進んだ右側の竹林に存在する堀切である。 | 
                 
              
             
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                        ■ 物見台か 
                        三島館の最高所に位置しており、一見主郭と思われるが、現地の方の話では物見跡であるという。 | 
                 
              
             
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                  ■ 駐車場 
                        三島館の説明板・標柱が設置されている。 | 
                 
              
             
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                        ■ 帯郭跡入口 
                        主郭西側に配されている。案内板には「回廊」とある。 | 
                 
              
             
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                  ■ 帯郭跡 
                        空堀のようにも見えるが、帯郭であるという。 | 
                 
              
             
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                  ■ 北側帯郭 
                        帯郭は東側・西側・北側の三方に配されている。 | 
                 
              
             
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                  ■ 中館・岩倉館遠望 
                  三島館の駐車場よりの眺望。 
                        画像左側が中館、右側が岩倉館である。間を区切る空堀は現在埋立てられてしまった。 | 
                 
              
             
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