本内館跡 |
訪問年月日 |
2004年5月2日 |
別称 |
古館 |
所在地 |
福島県福島市本内北古館 |
創築者 |
源頼義 |
主要城主 |
本内氏 |
築城年 |
永正年間(1046〜53) |
廃城年 |
慶長5年(1600)か |
様式 |
平城 |
構成 |
主郭 |
遺構 |
土塁・空堀 |
設置・復原物 |
− |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
本内館は永正年間(1046〜53)に源頼義が、陸奥国の豪族である安倍頼時・貞任父子を攻める際に創築されたと伝えられるが確証は無いとされる。
室町時代には本内氏が館主となっており、天文の乱に際しては本内相模守が伊達稙宗に属していたとされる。また、天正年間(1573〜92)の頃には本内駿河なる人物が本内館に拠っていたとされる。
慶長5年(1600)、本内氏は伊達政宗の福島攻撃によって敗れ、仙台に移ったという民間伝承がある。
■ 構成
本内館の規模は東西約120〜30m×南北約250mであり、方形状であったとされる。
西・南・北側は堀と土塁をめぐらせており、館内は土塁によって3郭に区切られていた。
また、本内館の北側には南古館が存在し、東西約120m×南北約170mの規模で本内館と同様に堀と土塁をめぐらせた方形状の館であった。
この二つの郭は同時期の物とは考えにくい。
鎌倉時代に南古館が創築され、その後戦国期に鉄砲の普及などにより土塁・堀など防御施設の充実に迫られて南古館を放棄し、本内館に移ったと思われる。
■ 現況
現在館跡は宅地化され遺構はほとんど残っておらず、僅かに北辺の土塁が残っている。
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■ 八幡神社
南古館の南端南端に位置していたと思われる。 |
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■ 土塁跡
八幡神社南側に残存する。南古館南端の土塁跡と思われる。
道路は堀跡であろうか。 |
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