にしやまじょう
西山城
西山城 西館跡石塁  訪問年月日  2004年5月1日
 別称  赤館・高館・西館
 所在地  福島県伊達郡桑折町万正寺字本丸
 創築者  伊達朝宗
 主要城主  伊達氏
 築城年  鎌倉時代(1192〜1333)か
 廃城年  天文17年(1548)
 様式  山城
 構成  本丸・二ノ丸・中館・西館・隠居館・砲台場
 遺構  土塁・石塁・空堀
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  国指定史跡
 ■ 沿革
西山城は天文元年(1532)、伊達稙宗が梁川城より居城を移した城であり、それまでは赤館と呼ばれていた。赤館は伊達氏の始祖である朝宗が伊達郡を与えられた際に築城したとされる。
大膳太夫政宗の時代には関東公方に抵抗したため、追討の命を受けた上杉氏憲の軍に攻められ落城し、敗れた政宗は会津に走った。

−天文の乱−
その後、14世稙宗は天文元年(1532)、居城を梁川城から西山城に移し、城下町を整備した。
天文11年(1542)6月、稙宗は嫡子晴宗に捕らえられ西山城に幽閉される事件がおきた。これを発端に天文の乱が起き、西山城は攻防の中心となった。
やがて稙宗・晴宗の間に和睦が結ばれ稙宗は隠居して晴宗が家督を継ぐと、講和の条件として西山城は破却され、居城を米沢城に移した。


 ■ 構成
西山城は、桑折の街に程近い高館山に位置する。
本丸の位置する山頂部は平坦地となっており、南側は緩やかな傾斜になっている。規模は東西330m×南北200mその西側には二ノ丸が位置し、鞍部である唐沢を隔てて中館・西館・隠居館があり、空堀によって分けられている。
南側の傾斜には帯郭が築かれ砲台場と呼ばれている。大手口はこの砲台場の脇に位置していた。


 ■ 現況
現在、本丸跡・砲台場は公園として整備されており、その他の大部分は農地または山林となっている。
また、西館の石塁は比較的良好に残る。
町内にある扶桑山伊達院桑折寺の山門は西山城の搦手門といわれ、県の重要文化財に指定されている。

■ 入口
標柱が目印。
■ 化粧道
大手門へ続く。
■ 大手門跡
ここまでずっと車一台分程の幅しかない道であったが、ここで少し開けている。
■ 大手道
本丸へ向かっている。
■ 本丸跡
最高所に位置する。
現在は石碑が設置されている。
■ 砲台場跡
本丸跡の南に位置する。
これは明治元年(1868)、戊辰戦争の際に仙台藩が要塞として築いたのでそう呼ばれる。
■ 中館跡
西館と空堀・石塁を隔てて隣接している。
■ 西館虎口
西館の南側に位置する。枡形が設けられていた。
この下に伊達稙宗が幽閉された隠居館が位置していたとされる。
■ 西館跡
伊達稙宗の時代の主郭であったとされる。
最も遺構が良好に残る郭でもある。
■ 西館跡
北西端の画像。
石塁・土塁によって外周を囲んでいる。
■ 西館跡石塁
この地方では珍しい石塁である。
画像は西館西側の石塁。
■ 石塁上
人が一人歩ける位の幅である。
■ 西館東側石塁
東側の石塁である。この石塁と空堀を隔てて中館が位置している。
■ 西館跡北側空堀
石塁の外側に空堀が位置している。
■ 桑折寺 山門
天文17年(1548)に伊達晴宗が西山城を破却した際、城内の搦手門を桑折寺(こうりんじ)が拝領して山門にしたという。
唐門でカヤ葺であったが、昭和55年(1980)の解体修理の際に防火の見地から銅板葺に改めた。